sumico’s blog

マイペースなふたりの子を持つシングルマザーです。過去や日々のことなど残して行きたいと思います。

モラルハラスメントは続く

私の実家は先に述べたとおりで、頼る事はできません。

私の知らない間に、

子供の名前の決定権、出産後に彼の実家へお世話になることが、

勝手に決まっていました。


結局出産後、彼の実家に一週間ほど滞在することになりました。

滞在中、義母は自分の介護経験の自慢と私への依頼、

過去の堕胎を含め、この結婚の決定も全て彼の意志ではなく、

全て自分達が決めた事だという事を言って来ました。

その後も月に一度、

彼の実家へ5、6時間に渡る時間の訪問がルール化されていました。

毎回、両親からダラダラとお酒を飲みながら、

人生論を唱えられ説教タイム。

私には仕事は程々にして、

夫を立ててと諭される苦痛の時間を強要されました。

私が決してこの席でお酒を飲む事はありませんでした。

私がお酒を飲む時は、

必ず楽しい時のお酒しか飲まないと決めていたからです。

結婚してからも自由はありませんでした。

結婚生活


彼の実家から住んでいたアパートに戻ってから結婚生活が始まりました。

彼は家庭に生活費を家庭に入れないし、

子育ては手伝わない、

相変わらず、彼自分のみ自由に生活していました。

育児も私だけでしていました。

そんな感じなので、子供もなかなか懐かない状況でした。

ある日突然


『実はギャンブルで作った借金があり助けて欲しい』

と家庭にお給料を入れないのにも関わらず、

私に懇願して来たのです。

子どももまだ小さかったのと、私自身両親が離婚していたのもあり、

私の貯金から助けてました。

雨の中、私が子どもを抱え渡した200万円を奪うように持ち去り、

車から消費者金融に駆け出す彼の後ろ姿

今でも鮮明に思い出します。

結婚中、同じことが3回はありました。

まるで母子家庭


彼は仕事へ行くのも早朝出勤、

帰宅するのは日付を跨いでという生活。

仕事かギャンブルで負けたのか、

八つ当たりで子どものおもちゃを壊したり、

アパートの壁に穴を開けたり、

私や子どもに暴力を振るうこともありました。

そして、結婚前から変わらずに、

私の料理は食べない、

掃除が汚い、髪の毛が落ちている、洗濯が汚い、と文句ばかり。

私が考えを話すと、『お前には聞いていない黙っていろ』

と、下の扱いをするので、

生活もすれ違いなので、会話すらなくなりました。

保育所への送迎、育児にお金に関しては私のみ。

でも、自分勝手な合意のない性生活は求めてくるのです。

おそらく、世の中の母子家庭と言われている方々と同じ生活を

結婚していながら体感していたと思います。

それでも、『離婚』という文字は私の生い立ちから重くのし掛かり、

耐えるという選択肢を選ばせていました。

子育てと仕事で忙しくし、自ら考える事を逃げていたのだと思います。